2018年2月12日

シンプルに生きる

ちょっと前に、断捨離とかミニマリストとかいう言葉がはやりました。(過去形?)
今はもう流れが変わりつつあると思うので、過去形ですが。

ちなみに、ライフスタイルとして、ミニマリズムとシンプリズムは違うらしいです。
ミニマルな暮らしは、必要最低限なものしか持たない暮らし(モノの数が極少)ですが、シンプルな暮らしは、文字通り、簡素な暮らしを意味するらしいです。

さて、自慢にもなんにもなりませんが、ヨガ歴だけは無駄に長いわたくし。
寒波がつづく冬籠りの日々に、改めてヨガのおさらいをしようと、本を読みあさりました。
『現代人のためのヨーガ・スートラ』という本の中に、簡素に生きるとはどういうことかという記述があったので、ざっくり要約してご紹介してみたいと思います。

以下、要約.....................

ヨーガでは、「苦行(タパス)」とは、簡素であることを意味する。
「簡素」という言葉の背後にあるのは、幸せになるために唯一必要なのは、自分自身の本当の姿を知ることだ、という事実を受け入れることだ。

生活に困窮せず、願望に屈することもなく、簡素な生活を送れば、心は集中する。

一方、「自分を甘やかせ」「自分を大切に扱え」「自分の願望を満たせ」などという世界の呼び声にしたがえば、自分の人生の責任は自分にはないのだと心に伝えることになる。そして、たえず外的刺激をあび感覚を満足させることによって心は平静を保つのだ、という考えを固めることになる。つまり、自分は自分自身の生命に対して責任はなく、要求と願望との奴隷であるということだ。

「苦行」とは、内面的に幸せになるためには、まったく何も必要としないという事実に目覚め、絶え間なく外的刺激に従うことが実は自分自身から離れていくことを意味する、と気づくことである。

特定のものが必要であると信じれば信じるほど、ますますそれに頼るようになる。簡素でいれば、それだけ自由になる。簡素であれば、体は強く健康になり、心は穏やかに集中する。これが自己認識の基盤である。
簡素さによって、自己認識以外の何かが私たちを永久に幸せにしてくれる、という虚言を捨て去ることになるからである。

ただ、「苦行」とは、乞食のように暮さなければならないという意味ではない。インドで偉大なヨギの中には、皇帝や王もいる。正当に自分に属するものに関しては、倫理規定に従ってさえいれば、一定量を慈善にまわして、あとは享受すればよいのである。
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ありのままの自分を受け入れることの重要性は、ますます力説されていますが、具体的にどうすればいいのか、受け入れたらどうなるのか、ということは、わりと分かりにくいのではないでしょうか。

ありのままの自分が分からないから、まずは心身の不要なものを断捨離して一旦かぎりなくゼロにしてしまおう、という方法が今までトレンドだったわけですが、その段階を通過して、断捨離でどんな成果が上がったか、どういう暮らし方をすればいいのか、というステージに、今、来ているのではないでしょうか。

このヨガの考え方は、そういう意味で示唆に富んだ教えであるように思います。

「苦行」なんて凡人には無縁のように見えますが、『内面的に幸せになるためには、まったく何も必要としないという事実に目覚め、絶え間なく外的刺激に従うことが実は自分自身から離れていくことを意味する、と気づくこと』が「苦行」であるなら、レイキ使いは、けっこう苦行者かもしれませんね。

まあ、こんな考え方は私の極私的思いこみかもしれませんが、どっちの方向をむいてレイキを実践しているのかを、ときには立ち止まって確認することが必要だと感じました。

今年の私のキーワードは「用の美」。
シンプルで無駄のないライフスタイルがその基盤となるのでしょう。
その上で、自分自身を受け入れ、より自由に生きるために、レイキを実践していきたいと思います。






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